とあるイベントに参加した。イベントの内容自体はとても有意義なものだったが、終わった後の後味は非常に悪かった。原因はイベントではなく、自分自身にあった。

こう見えても私は自己評価が高い方である。(イベントに参加してから自己評価は地に落ちたけど…)技術について広く浅く触れているし、新技術のトレンドを追うのも好きだ。業務や職場経験は何度か修羅場を潜った自負があるので、大抵のことには動じない。コミュニケーションにおいても、引き出しは多いし、場の空気を読んで基本的にはどんな議題でも笑いに変えられる自信がある。

しかし、あのイベントに参加してから私の幻想は見事に打ち砕かれた。理由は簡単で、イベント参加者のレベルが私より遥かに高かったからだ。いや、もはや同じ物差しであの人たちと比べることすら烏滸がましい。次元が違うという表現がもっとも適切だろう。

自分が 2 次元だとしたら、あの人たちは 4 次元、5 次元にいるくらい凄かった。経験した技術と業務の量が圧倒的に違うし、アウトプット内容の精度や鮮度に驚愕するばかりだった。賢ぶって表面的な言葉でごまかせないのはすぐにわかった。だから、下手にカッコつけて無理やり会話に参加しないのは正しい選択だったのかもしれない。

会話の内容をメモしても追いつかない。頭の回転が早すぎるのだ。自分の頭の演算速度はそれに追いつけず、途中でオーバーヒートしてしまい、思考停止になった。そのときの自分の姿は実に滑稽だっただろう。

イベントの主催者や参加者は実に懇切丁寧に接してくれた。本当に大物ほど寛容深いとはこのことだ。なおさら自分が惨めに感じてしまう。

では、自分は今後どうするのか?努力して実力の差を埋めるのは言うまでもない。これまでの学習メソッドや情報収集方法を見直し、より改善する必要がある。実践経験においては、こればかりは環境を変える必要性が迫ってきたかもしれない。いつまでもぬるま湯に浸かっている場合ではない。安定していることこそ一番の危機的状況であることを肝に銘じよう。

この記事を書いた理由は、今の悔しい気持ちをいつまでも忘れないためだ。家康が三方ヶ原の戦いで敗北した際に、自分が脱糞する肖像画を残したのと同じ発想だ。

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